ページ

2012年1月7日

かへるうぶすな

産土に八洲のかみがみたずぬれば、すめらはしめさむ君が征くみち、大東亜うぶすなこころで啓きなば、やまとのたましいひ絶へることなし、言の葉にのりてうぶすな広まらむ、くにからのみちやまとこころで

文豪・山本周五郎は随筆「人生の冬、自然の冬」のなかで、「人生にも四季があり、好況と不況は常に付いて回る」と綴る。

人生には、必ず、「試練」という名の厳冬がある。然れども、決して断じて諦めず、倦まず弛まず、眼前の課題から逃れず、真正面で艱難辛苦に立ち向かい、使命の道をば踏破しきるならば、勝利の陽春は爛漫と咲き誇る。

誰にでも一人ひとりの使命道、心の言葉をともにぞおくらむ、厳冬もとけて必ず陽春に、勝利は芽吹く闘争のなか、はらからは天下無双の國士なる、皇の剣で闇をば裂きなむ

すべての悪の根源は欧米列強の植民地主義による。欧米列強の暴力がなければ、日本も東亜の解放という難題に取り組む必要はなかった。この事実を、日本は言うに及ばず、欧米諸国こそもっと真摯に受けとめるべきである。そもそも大東亜戦争が侵略を目的としていなかったことは、昭和天皇による玉音放送からも明らかである。次の箇所はぜひ記憶に留めておいていただきたい。

http://www.stumbleupon.com/su/1WFUGI/www.youtube.com/watch%3Fv%3DLSD9sOMkfOo/参考動画:終戦の詔勅、玉音放送

抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ル/そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。

大東亜戦争はまだ経験者が生きており、公文書もすべてが公開されているわけではない。まだ歴史にはなりきれていない。しかし、いつの日か日本が名誉を回復する日が来るものと願いたい。以上、南出喜久治著 「かへるうぶすな」本文より。

うぶすな/産土、生土、産神、とは、生まれた土地のこと。生地。または、産土神/うぶすながみ、の略。うぶすながみ/産土神、とは、生まれた土地の守り神。近世以降は氏神や鎮守の神と混同される。うぶがみ。うぶすなのかみ。うぶすなまいり/産土参り、は、
産土神に詣でること。特に、生まれた子供が初めて産土神に参ることを言う。地方により参拝日は生後100日目、男子32日目、女子33日目などと異なる。

産土神/うぶすながみ、うぶしなのかみ、うぶのかみ、は生まれた土地を領有、守護する神。あるいは本貫/先祖の発祥地、に祀られている神。単に産土とも言う。日本人の郷土意識と強く結びついた信仰だ。

氏神、氏子の関係が血縁集団を基にして成立しているのに対し、産土神は地縁集団としての信仰意識に基づく。都市部で意識が強く表れる。例えば、京都では同族集団の結合が薄れ、地縁意識が起こると共に、中世には稲荷神社、御霊神社、賀茂神社、北野神社などの有力な神社を中心に産土神を基にした産子区域の観念が発達した。そして、産土詣での語が一般に使われるようになり、生まれた子の初宮参りをはじめ、成年式、七五三等に産土詣でをする風習が盛んになる。

また、産土神は安産の神である産神とも無関係ではない。今では古い形の同族神としての氏神が衰え、新たに起こった産土神に吸収されていく傾向が全国的に見られる。江戸では日枝山王が徳川氏の産土神とされ、その祭礼は盛大を極めた。

平成の大思想家、南出喜久治主著、國體護持総論第二巻「大東亜戦争と占領統治」。大東亜戦争はまぎれもなく自存自衛とアジア解放のための聖戦であった。 確たる史実を国際法の観点から説く、論理的に最も説得力ある日本人の必読書だ。

大東亜戦争は、欧米列強の植民地支配から大東亜を解放して、諸民族の自決独立を実現し、その各伝統に基づく互恵と共存共栄の新秩序を建設しようとする「思想戦争」であった。我が国は、世界革命思想の理想を武力で実現しようとした戦いには敗れたが、我が国の決起が大東亜諸民族の自覚を育み、結果、大東亜の解放と独立を実現した

それゆえに、戦勝国である連合国は、報復のため、我が国の「思想」と、それを育んだ「国体」を熾烈に断罪し、両足に大きな足かせをはめた。思想への足かせは、「極東国際軍事裁判/東京裁判の断行」と「東京裁判史観の洗脳」であり、国体への足かせは、「帝国憲法の否定」と「占領憲法の制定・施行」である。大東亜戦争は悪であり、その根源が帝国憲法にあるとの誤った観念を植えつけ、反日主義者を量産して、我が国の解体を企てたのである。そして、二つの亡国の足かせが、現代日本社会の政治、経済、文化、教育を今なお支配し続けている。

このまま、東京裁判と占領憲法という二つの醜雲を放置し続けるならば、我が国は、「武に敗れ文に滅ぶ」ことは必至である。
この壊滅的危機の状況から、我が祖国を救い、世界を救うためには、大東亜戦争の依拠した大東亜共栄圏思想をさらに発展させ、我が国の国体から導かれた「自立再生論」の実践によって世界を救済する以外にありえない。
自立再生論は、発散指向の世界主義に対抗しうる唯一の体系的理論であって、収束指向に基づく新しい世界思想である。
それは、従来の生産至上主義の産業構造では無視されてきた産業廃棄物の再生過程に産業的主眼を置き、化石燃料やウランなどの再生不能資源に依存せず、単位共同社会において再生可能資源による基幹物資の完全自給を実現することにより、世界の安定と平和を達成しようとするものである。
これによってのみ全体主義政治は終焉し、自立再生経済が確立する。そして、これを率先垂範して理想世界を実現するためには、先ず、我が国においてこれを実践し、現代日本を覆っている二つの醜雲を祓い除けて国体を明徴することから始めなければならない。

新世紀まほらまひとが啓く道、大義と道義が燦ときらめく、大和人よ、すめらの大地に舞い踊れ、みことの翼でたみをば抱きて、遠遠に契りを交わせしはらからよ、今ぞまほらの地に涌出しなむ

http://misumaru.tumblr.com/post/7297800872#content12-03、南出喜久治、京都講演「かへるうぶすな」